
『小医学叢書』
図版出典:Possibly Johannes de Ketham – Fasciculo di medicina – The Metropolitan Museum of Art
ヨハネス・デ・ケタム(1415頃-1470頃)による『小医学叢書』(1491)は、さまざまな著者たちによる医学の文献と説明を補足する木版画を掲載している。挿絵を添えた最初の医学書であり、治療に使用する図表だけではなく医療行為の様子も描写された。
かつての修道院は、古代の文献を収集して学問の保護と発展に貢献していた。修道士たちは、医学に関係のある写本の筆写や翻訳をした。そして、それらの文献から得た知識を活動に役立てた。修道院では、救いを求める訪問者たちを受け入れていたのである。
ベネディクトゥス(480-547頃)は、ベネディクト修道会の会則のなかで病人たちに対して世話をするように定めた。この会則は、8世紀以降にヨーロッパの各地の修道院で実施された。癒しを与えて助ける行為は、キリストが実践していたことでもある。
このように、修道院は病院の役割を果たしていた。その活動は、12世紀頃から次第に衰退する。医療行為は、患部や血液に触れるため生命に危険が及ぶ場合もある。宗教の課題を優先する目的もあり、複数の公会議で修道院と医学を切り離す決定が相次いだ。
医学の発展する場所は、やがて修道院から医学校に移り変わる。ベネディクト会によるモンテ・カッシーノ修道院は、9世紀に設立されたイタリアのサレルノ医学校に医学の文献を提供した。そして、12世紀にはトレドやモンペリエにも医学校が誕生する。
1440年頃には、活版印刷術が発明された。この技術は、情報を伝達する速度を向上させた。印刷機は、書籍を容易に複製することを可能にしたのである。やがて、医学の文献も写本から活版印刷本で普及するようになる。それらは、医学校の授業でも使用された。
ケタムの名を冠した医学書は、活版印刷術を使用した初期の書籍である。さらに、木版画による複数の挿絵の掲載も注目に値する。しかし、この医師と医学書の関係は曖昧である。その名が使用されているが、実際には文献の編纂者ではないと考えられている。
そこには、解剖学講義の様子を描いた挿絵が含まれている。教師は、説教壇のような場所から医学書の記述を読み上げる。指示者は、その説明に該当する身体の部位を棒で伝える。執刀者は、大きな刃物を死体の胸に当てる。死体は、まだ内臓を見せていない。
13世紀頃には、人間の死体が頻繁に解剖されていた。しかし、この挿絵で死体に触れているのは執刀者だけである。ガレノス(129-216頃)は、多くの著作を残して医学の基礎を築いた。この時代には、それらの記述を確認する目的で解剖が実施されたのである。
実際の死体には、医学書の記述と異なる箇所も存在した。それらは、大抵は見過ごされた。事実に基づく解剖は、16世紀におこなわれるようになる。アンドレアス・ヴェサリウス(1514-1564)は、自らの手で人間の死体を切り開いて真実を追求したのである。
図版資料
ヨハネス・デ・ケタム『小医学叢書』(1491)
図版出典
Possibly Johannes de Ketham – Fasciculo di medicina – The Metropolitan Museum of Art
参考文献
梶田昭『医学の歴史』講談社/2003
ヴォルフガング・エッカルト『医学の歴史』今井道夫、石渡隆司[監訳]/東信堂/2014
コリン・ソールター『解剖学者全史:学者とその書物でたどる5千年の歴史』布施英利[監修]/ 小林もり子[訳]/グラフック社/2024
ジョアンナ・エーベンステイン『世界の人体解剖図集』布施英利[監修]/植村亜美[訳]/パイインターナショナル/2020
スティーヴ・パーカー[監修]『医学の歴史大図鑑』酒井シヅ[日本語版監修]/河出書房新社/2017

