
《アリエータ医師のいる自画像》
図版出典:Self-Portrait with Dr. Arrieta, Francisco José de Goya y Lucientes | Mia
フランシスコ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテス(1746-1828)による《アリエータ医師のいる自画像》(1820)は、画家の自画像であり医師の肖像画である。病気により衰弱した晩年の画家は、その命を救うために活動した医師に感謝の意を込めた作品を残した。
独自の表現を追求しながらも、ゴヤは画家として成功することを意識して作品を制作していた。上流社会に上手く溶け込み、その作品は高い評価を獲得する。1789年には、カルロス4世(1748-1819)の宮廷画家という名誉ある地位にまで昇進を果たした。
しかし、その順調な画家としての生活に予期せぬ事件が起こる。1792年に、ゴヤは休暇と推測される旅の途中で体調を崩した。セビーリャで発病した画家は、カディスに暮らす友人の家で療養することになる。そして、その保養地で数か月を過ごした。
詳細な記録が残されていないため、ゴヤを重症に陥らせた病気の正体を特定することは困難である。鉛中毒や梅毒、あるいは希少な疾患名を候補に挙げる研究者もいる。いずれにせよ、このときの病気の後遺症により画家の聴力は失われた。
ゴヤの作品には、すでに不穏な要素が出現していた。失聴という経験は、そのような傾向を深める契機となる。このとき、スペインには戦争が近づいていた。個人の不安と社会の混乱は、怪物や魔女が登場する風刺に満ちた作品を画家に描かせることになる。
それらの作品の制作だけではなく、ゴヤは宮廷の人々のための仕事も続けていた。そして、1799年には主席宮廷画家という画家として最高の地位を獲得する。しかし、かつての出世に対する執着は薄れていた。やがて、画家は社会から離れた生活をするようになる。
1819年に、ゴヤはマドリードの郊外に別荘を購入した。その建物は、奇しくも「聾者の家」と呼ばれていた。そこに転居した画家は、再び病気となり倒れてしまう。しかし、エウジェニオ・ガルシア・アリエータ(1770-?)という医師の仕事により救われた。
その熱心な献身の記録は、ひとつの作品として残された。そこには、ふたりの人物が対照的に表現されている。画家は、敷布を軽く掴みながら虚空を眺めている。医師は、グラスを強く握りながら患者を見つめている。この空間には、生と死の要素が混在している。
ふたりを取り巻くように、数人の姿が闇に紛れて浮かび上がる。それらの観察者たちには、さまざまな解釈が与えられている。この不穏な情景から、ゴヤは絵筆を持つことができる状態にまで回復した。そして、アリエータによる看護と治療を讃える作品を描いた。
その晩年に、ゴヤは「黒い絵」と呼ばれる複数の作品の制作に取り組むようになる。そこにも、病気による失聴や度重なる戦争から受けた影響が見られる。この自画像でもある肖像画も含めて、画家は狂気の気配を漂わせる作品を繰り返し描き続けたのである。
図版資料
フランシスコ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテス《アリエータ医師のいる自画像》(1820)
キャンバス・油彩/114.62cm×76.52cm/ミネアポリス美術館(ミネアポリス/アメリカ)
図版出典
Self-Portrait with Dr. Arrieta, Francisco José de Goya y Lucientes | Mia
参考文献
アルフォンソ・ペレス・サンチェス『ゴヤ』木下亮[訳]/中央公論社/1994
サラ・シモンズ『ゴヤ』(岩波:世界の美術)大高保二郎、松原典子[訳]/岩波書店/2001
ツヴェタン・トドロフ『ゴヤ:啓蒙の光の影で』小野潮[訳]/法政大学出版局/2014
参考ウェブサイト
Goya a su médico Arrieta – Fundación Goya en Aragón

