医学小事典

医学小事典【星辰医学】

ペトルス・スロヴァキウス《黄道十二宮による人体図》
ペトルス・スロヴァキウス
『1581年の暦』の《黄道十二宮による人間》
図版出典:Allmanach auff das 1581 jar … / Durch Petrum Slovacium gestellet auff den Meridian der kayserlichen Stadt Breslaw. | Wellcome Collection

 ❖星辰医学(せいしんいがく/Astrological medicine)

 星辰医学とは、占星学の概念を基礎とする医学の理論である。身体と天体は、小宇宙と大宇宙の関係により対応するという。そのため、天体の移動が身体の状態に影響を与えるとされた。この概念は、長期間にわたり必要な医療行為を判断するときの指針となる。

 占星学は、さまざまな地域で医学と結びついた。その起源は、バビロニアと考えられている。天文現象の古い記録として、アッシュールバニパル(在位:前668-前627)の図書館から発見された粘土板の文書がある。それは、紀元前7世紀の資料という。

 黄道十二宮は、天文学の知識に基づいて考案された。黄道とは、天球上における太陽の移動する大円の経路である。そこに沿う天域は、12種類の星座の名を冠した十二宮に分割された。歳差により春分点が移動しており、現在では各宮と各星座にずれが生じている。

 バビロニアでは、天文学と占星学が密接に関係していた。天文現象の観測は、主に占術の参考とするためにおこなわれたという。天上に見られる現象は、地上に起こる吉凶の兆候とされた。占星学と黄道十二宮の概念は、やがて広い地域に浸透することになる。

 ギリシャでは、アレクサンドロス3世(前356-前323)の東征を契機として占星学が隆盛を迎えた。そこでは、ホロスコープという天体の配置図を使用して個人の運勢が予測された。このような占術の方式は、西洋における占星学の基礎となり発展を促進した。

 5世紀頃には、キリスト教会が占星学を異端と判断した。ギリシャにおける占星学の遺産は、ネストリウス派のキリスト教徒たちにより中東地域へ受け継がれる。そこで研究が活発となり、アブー・マーシャル(787-886)が『占星学入門』(9世紀)を著した。

 キリスト教会は、次第に占星学の受容に向かう。1133年には、マーシャルによる著作がラテン語に翻訳された。そこでは、アリストテレス(前384-前322)の天文学に各地の占星学の信仰を統合している。そして、人間の健康と星の移動の関係も論じられた。

 テオフラストゥス・フォン・ホーエンハイム(1493-1541)は、パラケルススという名で占星学の概念を重視する独自の理論を構築して医師として活動した。病気の診断や治療の選択には、占星学の知識が必要と主張した。さらに、各国を遍歴して研究を続けた。

 ヨーロッパでは、医学に占星学を導入することが流行した。そのため、医学校では占星学の知識も教えられた。しかし、17世紀頃から星辰医学は衰退する。医学では、天体の移動よりも人体の解剖が重視されるようになる。天文学も、占星学と完全に分離する。

 カール・グスタフ・ユング(1875-1961)は、深層心理を研究する過程で占星学に注目した。それを一種の心理学と見なして、持論である集合的無意識という概念を補強する材料とした。医学と占星学は、精神の問題の探究を契機として再び繋がることになる。


図版資料
ペトルス・スロヴァキウス『1581年の暦』の《黄道十二宮による人間》(1580)
紙・木版/81cm×32cm/ウェルカムコレクション(ロンドン/イギリス)

図版出典
Allmanach auff das 1581 jar … / Durch Petrum Slovacium gestellet auff den Meridian der kayserlichen Stadt Breslaw. | Wellcome Collection

参考文献
種村季弘『パラケルススの世界』青土社/1986
ヴォルフガング・エッカルト『医学の歴史』今井道夫、石渡隆司[監訳]/東信堂/2014
ジュリー・アンダーソン[他]『アートで見る医学の歴史』矢野真千子[訳]/河出書房新社/2012
フランツ・キュモン『ゾディアック:獣帯あるいは黄道の十二星座』大橋喜之[訳]/八坂書房/2026
C.G.ユング著作財団[編]『ユングの芸術』山中康裕[監訳]/青土社/2022

参考ウェブサイト
Introduction · Yale University Library Online Exhibitions

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