
《アンリ・ブールジュ医師の肖像》
図版出典:Collection | Carnegie Museum of Art
アンリ・ド・トゥールーズ゠ロートレック(1864-1901)による《アンリ・ブールジュ医師の肖像》(1891)は、縦型の構図のなかに軽快な筆致でアトリエを訪問する友人の姿を描いている。多病な画家は、いつでも医師が身近にいる生活をしていた。
トゥールーズ゠ロートレックには、アンリ・ブールジュ(1861-1941)という医師の友人とパリで共同生活をしていた時期がある。この友人と暮らすことで、画家は医学の関係者たちと交流する機会を得た。そして、医学に対する関心を深めることになる。
1887年に、ふたりはフォンテーヌ通り19番地に部屋を借りた。ブールジュは、すでに医師となるための試験に合格していた。トゥールーズ゠ロートレックは、その翌年に同居人がインターンとして勤務するビセートル病院を友人たちと一緒に訪問した。
そこは、精神医学の歴史と密接な関係を持つ場所である。1793年に、フィリップ・ピネル(1745-1826)はビセートル病院で精神病に対する治療の改革を進めた。この病気の患者たちは、鎖による拘束や鞭による虐待などから次第に解放されるようになる。
1891年に、画家は医学博士の称号を得た友人の肖像画を制作した。ブールジュの訪問を告げる開いた扉、壁の掛け軸や床のキャンバスは形状と色彩に共通の要素がある。それらの小道具類は、手袋に視線を向けた友人の姿を際立たせて画面に調和も与えている。
友人の肖像画は、同年に開催されたアンデパンダン展の出品作となる。その展覧会と近い時期に、ふたりはフォンテーヌ通り21番地に転居した。この共同生活は、1894年に医師が結婚するまで続けられた。同居を解消しても、ふたりは変わらずに交流した。
ブールジュは、トゥールーズ゠ロートレックの健康状態を気にかけていた。不摂生な生活により、画家の身体は梅毒やアルコール依存症におかされていた。それらの症状が悪化して、1899年にはアルコール中毒による発作が起きて入院を余儀なくされた。
画家が約2か月を過ごした場所は、ルネ・セムレーニュ(1855-1934)の運営する病院である。この医師の曽祖父は、ピネルの弟に当たる。その施設を退院するも、画家の心身は病気に蝕まれ続けていた。そして、1901年に病床で人生を閉じることになる。
梅毒は、主に性行為が原因で感染する。ブールジュは、1897年に『梅毒の衛生学』という論文を出版している。共同生活をしていた頃から、この医師は画家に対して奔放な生活を改めるように求めていた。それは、梅毒という病気を知る立場からの忠告である。
ふたりの関係は、友人や同居人だけではない。画家とモデルのときもあれば、医師と患者のときもある。そのときの状況に応じて、ふたりは観察者と観察対象という役割を交代していた。この奇妙ともいえる関係が、お互いの仕事に活かされていたのである。
図版資料
アンリ・ド・トゥールーズ゠ロートレック《アンリ・ブールジュ医師の肖像》(1891)
板に取り付けられた厚紙・油彩/78.74cm×50.48cm/カーネギー美術館(ピッツバーグ/アメリカ)
図版出典
Collection | Carnegie Museum of Art
参考文献
ヴォルフガング・エッカルト『医学の歴史』今井道夫、石渡隆司[監訳]/東信堂/2014
エドワード・ショーター『精神医学歴史事典』江口重幸、大前晋[監訳]/みすず書房/2016
ジェラール・デュロゾワ『ロートレック』(岩波:世界の巨匠)小勝禮子[訳]/岩波書店/1994
スティーヴ・パーカー[監修]『医学の歴史大図鑑』酒井シヅ[日本語版監修]/河出書房新社/2017
フランス美術館連盟[編]『トゥールーズ=ロートレック:ロンドン、パリ作品展の記録』池上忠治[日本語版総監修]/同朋舎出版/1994
マティアス・アルノルト『アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック』真野宏子[訳]/PARCO出版/1996
ルネ・スムレーニュ『フィリップ・ピネルの生涯と思想』影山任佐[訳]/中央洋書出版部/1988
Kyriakos Koutsomallis, Toulouse-Lautrec : woman as myth, Umberto Allemandi, 2001


