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	<title>感染症学 | 常泉堂</title>
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	<description>医学と美術と書籍の雑記</description>
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	<title>感染症学 | 常泉堂</title>
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		<title>トゥールーズ゠ロートレック《アンリ・ブールジュ医師の肖像》</title>
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		<dc:creator><![CDATA[常泉堂]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 04 Jul 2026 12:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[医学と美術]]></category>
		<category><![CDATA[医師と芸術家]]></category>
		<category><![CDATA[感染症学]]></category>
		<category><![CDATA[精神医学]]></category>
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					<description><![CDATA[　アンリ・ド・トゥールーズ゠ロートレック（1864－1901）による《アンリ・ブールジュ医師の肖像》（1891）は、縦型の構図のなかに軽快な筆致でアトリエを訪問する友人の姿を描いている。多病な画家は、いつでも医師が身近にいる生活をしていた。]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<figure class="wp-block-image aligncenter size-full"><img fetchpriority="high" decoding="async" width="600" height="933" src="https://izumi.blog/wp-content/uploads/2026/07/20260704.jpeg" alt="トゥールーズ゠ロートレック《アンリ・ブールジュ医師の肖像》" class="wp-image-355" srcset="https://izumi.blog/wp-content/uploads/2026/07/20260704.jpeg 600w, https://izumi.blog/wp-content/uploads/2026/07/20260704-193x300.jpeg 193w" sizes="(max-width: 600px) 100vw, 600px" /><figcaption class="wp-element-caption"><strong>アンリ・ド・トゥールーズ゠ロートレック<br>《アンリ・ブールジュ医師の肖像》</strong><br>図版出典：<a rel="noopener noreferrer external" target="_blank" href="https://collection.carnegieart.org/objects/3ed7e910-49a0-4e5f-9355-0bfd9863115b">Collection | Carnegie Museum of Art</a></figcaption></figure>



<div style="height:3px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>



<p class="wp-block-paragraph">　<strong>アンリ・ド・トゥールーズ゠ロートレック（1864－1901）</strong>による《アンリ・ブールジュ医師の肖像》（1891）は、縦型の構図のなかに軽快な筆致でアトリエを訪問する友人の姿を描いている。多病な画家は、いつでも医師が身近にいる生活をしていた。<br><br>　トゥールーズ゠ロートレックには、<strong>アンリ・ブールジュ（1861－1941）</strong>という医師の友人とパリで共同生活をしていた時期がある。この友人と暮らすことで、画家は医学の関係者たちと交流する機会を得た。そして、医学に対する関心を深めることになる。<br><br>　1887年に、ふたりはフォンテーヌ通り19番地に部屋を借りた。ブールジュは、すでに医師となるための試験に合格していた。トゥールーズ゠ロートレックは、その翌年に同居人がインターンとして勤務するビセートル病院を友人たちと一緒に訪問した。<br><br>　そこは、精神医学の歴史と密接な関係を持つ場所である。1793年に、<strong>フィリップ・ピネル（1745－1826）</strong>はビセートル病院で精神病に対する治療の改革を進めた。この病気の患者たちは、鎖による拘束や鞭による虐待などから次第に解放されるようになる。<br><br>　1891年に、画家は医学博士の称号を得た友人の肖像画を制作した。ブールジュの訪問を告げる開いた扉、壁の掛け軸や床のキャンバスは形状と色彩に共通の要素がある。それらの小道具類は、手袋に視線を向けた友人の姿を際立たせて画面に調和も与えている。<br><br>　友人の肖像画は、同年に開催されたアンデパンダン展の出品作となる。その展覧会と近い時期に、ふたりはフォンテーヌ通り21番地に転居した。この共同生活は、1894年に医師が結婚するまで続けられた。同居を解消しても、ふたりは変わらずに交流した。<br><br>　ブールジュは、トゥールーズ゠ロートレックの健康状態を気にかけていた。不摂生な生活により、画家の身体は梅毒やアルコール依存症におかされていた。それらの症状が悪化して、1899年にはアルコール中毒による発作が起きて入院を余儀なくされた。<br><br>　画家が約2か月を過ごした場所は、<strong>ルネ・セムレーニュ（1855－1934）</strong>の運営する病院である。この医師の曽祖父は、ピネルの弟に当たる。その施設を退院するも、画家の心身は病気に蝕まれ続けていた。そして、1901年に病床で人生を閉じることになる。<br><br>　梅毒は、主に性行為が原因で感染する。ブールジュは、1897年に『梅毒の衛生学』という論文を出版している。共同生活をしていた頃から、この医師は画家に対して奔放な生活を改めるように求めていた。それは、梅毒という病気を知る立場からの忠告である。<br><br>　ふたりの関係は、友人や同居人だけではない。画家とモデルのときもあれば、医師と患者のときもある。そのときの状況に応じて、ふたりは観察者と観察対象という役割を交代していた。この奇妙ともいえる関係が、お互いの仕事に活かされていたのである。</p>



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<div class="wp-block-cocoon-blocks-blank-box-1 blank-box block-box has-border-color has-key-color-border-color">
<p class="wp-block-paragraph"><span class="fz-12px"><strong>図版資料</strong><br>アンリ・ド・トゥールーズ゠ロートレック《アンリ・ブールジュ医師の肖像》（1891）<br>板に取り付けられた厚紙・油彩/78.74cm×50.48cm/カーネギー美術館（ピッツバーグ/アメリカ）<br><br><strong>図版出典</strong><br><a rel="noopener noreferrer external" target="_blank" href="https://collection.carnegieart.org/objects/3ed7e910-49a0-4e5f-9355-0bfd9863115b">Collection | Carnegie Museum of Art</a><br><br><strong>参考文献</strong><br>ヴォルフガング・エッカルト『医学の歴史』今井道夫、石渡隆司［監訳］/東信堂/2014<br>エドワード・ショーター『精神医学歴史事典』江口重幸、大前晋［監訳］/みすず書房/2016<br>ジェラール・デュロゾワ『ロートレック』（岩波：世界の巨匠）小勝禮子［訳］/岩波書店/1994<br>スティーヴ・パーカー［監修］『医学の歴史大図鑑』酒井シヅ［日本語版監修］/河出書房新社/2017<br>フランス美術館連盟［編］『トゥールーズ＝ロートレック：ロンドン、パリ作品展の記録』池上忠治［日本語版総監修］/同朋舎出版/1994<br>マティアス・アルノルト『アンリ・ド・トゥールーズ＝ロートレック』真野宏子［訳］/PARCO出版/1996<br>ルネ・スムレーニュ『フィリップ・ピネルの生涯と思想』影山任佐［訳］/中央洋書出版部/1988<br>Kyriakos Koutsomallis, Toulouse-Lautrec : woman as myth, Umberto Allemandi, 2001</span></p>
</div>
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		<title>ランブール兄弟《解剖学的人体あるいは占星学的人体》</title>
		<link>https://izumi.blog/archives/000001/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[常泉堂]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 06 Jun 2026 12:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[医学と美術]]></category>
		<category><![CDATA[占星学]]></category>
		<category><![CDATA[体液病理学]]></category>
		<category><![CDATA[感染症学]]></category>
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					<description><![CDATA[　ランブール兄弟（15世紀初期活動）による『ベリー侯のいとも豪華なる時祷書』の《解剖学的人体あるいは占星学的人体》（1411－1416）は、写本に描かれた幻想的な人体図である。そこには、この時代における医学と占星学の密接な関係が示されている。]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<figure class="wp-block-image aligncenter size-full"><img decoding="async" width="600" height="780" src="https://izumi.blog/wp-content/uploads/2026/06/20260606.jpeg" alt="ランブール兄弟《解剖学的人体あるいは占星学的人体》" class="wp-image-351" srcset="https://izumi.blog/wp-content/uploads/2026/06/20260606.jpeg 600w, https://izumi.blog/wp-content/uploads/2026/06/20260606-231x300.jpeg 231w" sizes="(max-width: 600px) 100vw, 600px" /><figcaption class="wp-element-caption"><strong>ランブール兄弟<br>『ベリー侯のいとも豪華なる時祷書』の《解剖学的人体あるいは占星学的人体》</strong><br>図版出典：<a rel="noopener noreferrer external" target="_blank" href="https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Anatomical_Man.jpg">File:Anatomical Man.jpg &#8211; Wikimedia Commons</a></figcaption></figure>



<div style="height:3px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>



<p class="wp-block-paragraph">　<strong>ランブール兄弟（15世紀初期活動）</strong>による『ベリー侯のいとも豪華なる時祷書』の《解剖学的人体あるいは占星学的人体》（1411－1416）は、写本に描かれた幻想的な人体図である。そこには、この時代における医学と占星学の密接な関係が示されている。<br><br>　時祷書とは、キリスト教徒が日々の祈りのために使用する書籍である。その挿絵や装飾には、所有者の好みが反映されることがある。<strong>ベリー侯ジャン（1340－1416）</strong>のための時祷書には、12か月の暦に対応する12種類の星座を周囲に配置した人体図が採用された。<br><br>　祈祷文だけではなく、時祷書にはキリスト教における年間の行事が各月ごとに掲載された。しかし、このように星座と組み合わせた人体図は他の時祷書には見られない。その独特な挿絵の選択には、ベリー侯の占星学に対する強い関心が影響していると考えられる。<br><br>　この緻密な描写の人体図は、かつての医学と占星学の深い関係を示す証拠でもある。身体と天体は、小宇宙と大宇宙という関係にあるとされた。黄道十二宮の各星座が身体の各部位に対応しており、天体の移動が身体の状態に変化をもたらすと信じられていた。<br><br>　占星学の要素は、四体液説とも呼ばれる体液病理学と結びつけられた。それは、4種類の基本となる体液の状態が心身に影響を与えるという理論である。血液と粘液、黄胆汁と黒胆汁の調和が失われることで病気が引き起こされると考えられていた。<br><br>　それらの体液の均衡を整えるために、血液を抜く瀉血という治療がおこなわれた。その処置には、星座と組み合わせた人体図が使用された。黄道十二宮と身体の関係が重要であり、瀉血の実行日や処置をする身体の部位の決定に宇宙の影響を考慮したのである。<br><br>　要素が同数であることから、四体液説は四季や四大元素に対応させることができた。熱と冷、湿と乾という物質の性質も同数である。このような数字の合致は、四体液説が信頼できる理論として長期間にわたり広い地域で信頼を得る要因となる。<br><br>　4種類の体液は、個人の気質に関係するという意見も存在した。血液による多血質は社交的で楽観的、粘液による粘液質は受動的で内向的な気質を与える。黄胆汁による胆汁質は激情的で外向的、黒胆汁による憂鬱質は消極的で悲観的な気質をもたらすという。<br><br>　ベリー侯の時祷書における人体図は、12種類の星座による楕円形の輪の内側に描かれている。その外側の四隅には、青色と赤色の文字により複数の概念の対比が記された。黄道十二宮の各星座、物質の性質と個人の気質などが4種類にまとめられている。<br><br>　身体と天体の関係は、ランブール兄弟の丁寧な筆致により表現された。しかし、1416年に時祷書の依頼主も三兄弟も没する。おそらくペストが原因であり、別の画家たちが残りのページを引き継いだ。そのため、この時祷書は完成までに約1世紀の時間を要した。</p>



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<div class="wp-block-cocoon-blocks-blank-box-1 blank-box block-box has-border-color has-key-color-border-color">
<p class="wp-block-paragraph"><span class="fz-12px"><strong>図版資料</strong><br>ランブール兄弟『ベリー侯のいとも豪華なる時祷書』の《解剖学的人体あるいは占星学的人体》（1411－1416）<br>コンデ美術館（シャンティイ/フランス）<br><br><strong>図版出典</strong><br><a rel="noopener noreferrer external" target="_blank" href="https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Anatomical_Man.jpg">File:Anatomical Man.jpg &#8211; Wikimedia Commons</a><br><br><strong>参考文献</strong><br>ヴォルフガング・エッカルト『医学の歴史』今井道夫、石渡隆司［監訳］/東信堂/2014<br>スティーヴ・パーカー［監修］『医学の歴史大図鑑』酒井シヅ［日本語版監修］/河出書房新社/2017<br>レイモン・カザル『ベリー侯の豪華時禱書』木島俊介［訳］/中央公論社/1989<br>木島俊介『美しき時禱書の世界：ヨーロッパ中世の四季』中央公論社/1995</span></p>
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