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	<title>医師と芸術家 | 常泉堂</title>
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	<description>医学と美術と書籍の雑記</description>
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	<title>医師と芸術家 | 常泉堂</title>
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		<title>ゴヤ《アリエータ医師のいる自画像》</title>
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		<dc:creator><![CDATA[常泉堂]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 01 Aug 2026 12:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[医学と美術]]></category>
		<category><![CDATA[医師と芸術家]]></category>
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					<description><![CDATA[フランシスコ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテス（1746－1828）による《アリエータ医師のいる自画像》（1820）は、画家の自画像であり医師の肖像画である。病気により衰弱した晩年の画家は、その命を救うために活動した医師に感謝の意を込めた作品を残した。]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<figure class="wp-block-image aligncenter size-full"><img fetchpriority="high" decoding="async" width="600" height="894" src="https://izumi.blog/wp-content/uploads/2026/08/20260801.jpeg" alt="ゴヤ《アリエータ医師のいる自画像》" class="wp-image-360" srcset="https://izumi.blog/wp-content/uploads/2026/08/20260801.jpeg 600w, https://izumi.blog/wp-content/uploads/2026/08/20260801-201x300.jpeg 201w" sizes="(max-width: 600px) 100vw, 600px" /><figcaption class="wp-element-caption"><strong>フランシスコ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテス</strong><br><strong>《アリエータ医師のいる自画像》</strong><br>図版出典：<a rel="noopener noreferrer external" target="_blank" href="https://collections.artsmia.org/art/1226/self-portrait-with-dr-arrieta-francisco-jose-de-goya-y-lucientes">Self-Portrait with Dr. Arrieta, Francisco José de Goya y Lucientes | Mia</a></figcaption></figure>



<div style="height:3px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>



<p class="wp-block-paragraph">　<strong>フランシスコ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテス（1746－1828）</strong>による《アリエータ医師のいる自画像》（1820）は、画家の自画像であり医師の肖像画である。病気により衰弱した晩年の画家は、その命を救うために活動した医師に感謝の意を込めた作品を残した。<br><br>　独自の表現を追求しながらも、ゴヤは画家として成功することを意識して作品を制作していた。上流社会に上手く溶け込み、その作品は高い評価を獲得する。1789年には、<strong>カルロス4世（1748－1819）</strong>の宮廷画家という名誉ある地位にまで昇進を果たした。<br><br>　しかし、その順調な画家としての生活に予期せぬ事件が起こる。1792年に、ゴヤは休暇と推測される旅の途中で体調を崩した。セビーリャで発病した画家は、カディスに暮らす友人の家で療養することになる。そして、その保養地で数か月を過ごした。<br><br>　詳細な記録が残されていないため、ゴヤを重症に陥らせた病気の正体を特定することは困難である。鉛中毒や梅毒、あるいは希少な疾患名を候補に挙げる研究者もいる。いずれにせよ、このときの病気の後遺症により画家の聴力は失われた。<br><br>　ゴヤの作品には、すでに不穏な要素が出現していた。失聴という経験は、そのような傾向を深める契機となる。このとき、スペインには戦争が近づいていた。個人の不安と社会の混乱は、怪物や魔女が登場する風刺に満ちた作品を画家に描かせることになる。<br><br>　それらの作品の制作だけではなく、ゴヤは宮廷の人々のための仕事も続けていた。そして、1799年には主席宮廷画家という画家として最高の地位を獲得する。しかし、かつての出世に対する執着は薄れていた。やがて、画家は社会から離れた生活をするようになる。<br><br>　1819年に、ゴヤはマドリードの郊外に別荘を購入した。その建物は、奇しくも「聾者の家」と呼ばれていた。そこに転居した画家は、再び病気となり倒れてしまう。しかし、<strong>エウジェニオ・ガルシア・アリエータ（1770－？）</strong>という医師の仕事により救われた。<br><br>　その熱心な献身の記録は、ひとつの作品として残された。そこには、ふたりの人物が対照的に表現されている。画家は、敷布を軽く掴みながら虚空を眺めている。医師は、グラスを強く握りながら患者を見つめている。この空間には、生と死の要素が混在している。<br><br>　ふたりを取り巻くように、数人の姿が闇に紛れて浮かび上がる。それらの観察者たちには、さまざまな解釈が与えられている。この不穏な情景から、ゴヤは絵筆を持つことができる状態にまで回復した。そして、アリエータによる看護と治療を讃える作品を描いた。<br><br>　その晩年に、ゴヤは「黒い絵」と呼ばれる複数の作品の制作に取り組むようになる。そこにも、病気による失聴や度重なる戦争から受けた影響が見られる。この自画像でもある肖像画も含めて、画家は狂気の気配を漂わせる作品を繰り返し描き続けたのである。</p>



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<div class="wp-block-cocoon-blocks-blank-box-1 blank-box block-box has-border-color has-key-color-border-color">
<p class="wp-block-paragraph"><span class="fz-12px"><strong>図版資料</strong><br>フランシスコ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテス《アリエータ医師のいる自画像》（1820）<br>キャンバス・油彩/114.62cm×76.52cm/ミネアポリス美術館（ミネアポリス/アメリカ）<br><br><strong>図版出典</strong><br><a rel="noopener noreferrer external" target="_blank" href="https://collections.artsmia.org/art/1226/self-portrait-with-dr-arrieta-francisco-jose-de-goya-y-lucientes">Self-Portrait with Dr. Arrieta, Francisco José de Goya y Lucientes | Mia</a><br><br><strong>参考文献</strong><br>アルフォンソ・ペレス・サンチェス『ゴヤ』木下亮［訳］/中央公論社/1994<br>サラ・シモンズ『ゴヤ』（岩波：世界の美術）大高保二郎、松原典子［訳］/岩波書店/2001<br>ツヴェタン・トドロフ『ゴヤ：啓蒙の光の影で』小野潮［訳］/法政大学出版局/2014<br><br><strong>参考ウェブサイト</strong><br><a rel="noopener noreferrer external" target="_blank" href="https://fundaciongoyaenaragon.es/obra/goya-a-su-medico-arrieta/200">Goya a su médico Arrieta &#8211; Fundación Goya en Aragón</a></span></p>
</div>
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		<title>トゥールーズ゠ロートレック《アンリ・ブールジュ医師の肖像》</title>
		<link>https://izumi.blog/archives/000003/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[常泉堂]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 04 Jul 2026 12:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[医学と美術]]></category>
		<category><![CDATA[医師と芸術家]]></category>
		<category><![CDATA[感染症学]]></category>
		<category><![CDATA[精神医学]]></category>
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					<description><![CDATA[　アンリ・ド・トゥールーズ゠ロートレック（1864－1901）による《アンリ・ブールジュ医師の肖像》（1891）は、縦型の構図のなかに軽快な筆致でアトリエを訪問する友人の姿を描いている。多病な画家は、いつでも医師が身近にいる生活をしていた。]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<figure class="wp-block-image aligncenter size-full"><img decoding="async" width="600" height="933" src="https://izumi.blog/wp-content/uploads/2026/07/20260704.jpeg" alt="トゥールーズ゠ロートレック《アンリ・ブールジュ医師の肖像》" class="wp-image-355" srcset="https://izumi.blog/wp-content/uploads/2026/07/20260704.jpeg 600w, https://izumi.blog/wp-content/uploads/2026/07/20260704-193x300.jpeg 193w" sizes="(max-width: 600px) 100vw, 600px" /><figcaption class="wp-element-caption"><strong>アンリ・ド・トゥールーズ゠ロートレック<br>《アンリ・ブールジュ医師の肖像》</strong><br>図版出典：<a rel="noopener noreferrer external" target="_blank" href="https://collection.carnegieart.org/objects/3ed7e910-49a0-4e5f-9355-0bfd9863115b">Collection | Carnegie Museum of Art</a></figcaption></figure>



<div style="height:3px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>



<p class="wp-block-paragraph">　<strong>アンリ・ド・トゥールーズ゠ロートレック（1864－1901）</strong>による《アンリ・ブールジュ医師の肖像》（1891）は、縦型の構図のなかに軽快な筆致でアトリエを訪問する友人の姿を描いている。多病な画家は、いつでも医師が身近にいる生活をしていた。<br><br>　トゥールーズ゠ロートレックには、<strong>アンリ・ブールジュ（1861－1941）</strong>という医師の友人とパリで共同生活をしていた時期がある。この友人と暮らすことで、画家は医学の関係者たちと交流する機会を得た。そして、医学に対する関心を深めることになる。<br><br>　1887年に、ふたりはフォンテーヌ通り19番地に部屋を借りた。ブールジュは、すでに医師となるための試験に合格していた。トゥールーズ゠ロートレックは、その翌年に同居人がインターンとして勤務するビセートル病院を友人たちと一緒に訪問した。<br><br>　そこは、精神医学の歴史と密接な関係を持つ場所である。1793年に、<strong>フィリップ・ピネル（1745－1826）</strong>はビセートル病院で精神病に対する治療の改革を進めた。この病気の患者たちは、鎖による拘束や鞭による虐待などから次第に解放されるようになる。<br><br>　1891年に、画家は医学博士の称号を得た友人の肖像画を制作した。ブールジュの訪問を告げる開いた扉、壁の掛け軸や床のキャンバスは形状と色彩に共通の要素がある。それらの小道具類は、手袋に視線を向けた友人の姿を際立たせて画面に調和も与えている。<br><br>　友人の肖像画は、同年に開催されたアンデパンダン展の出品作となる。その展覧会と近い時期に、ふたりはフォンテーヌ通り21番地に転居した。この共同生活は、1894年に医師が結婚するまで続けられた。同居を解消しても、ふたりは変わらずに交流した。<br><br>　ブールジュは、トゥールーズ゠ロートレックの健康状態を気にかけていた。不摂生な生活により、画家の身体は梅毒やアルコール依存症におかされていた。それらの症状が悪化して、1899年にはアルコール中毒による発作が起きて入院を余儀なくされた。<br><br>　画家が約2か月を過ごした場所は、<strong>ルネ・セムレーニュ（1855－1934）</strong>の運営する病院である。この医師の曽祖父は、ピネルの弟に当たる。その施設を退院するも、画家の心身は病気に蝕まれ続けていた。そして、1901年に病床で人生を閉じることになる。<br><br>　梅毒は、主に性行為が原因で感染する。ブールジュは、1897年に『梅毒の衛生学』という論文を出版している。共同生活をしていた頃から、この医師は画家に対して奔放な生活を改めるように求めていた。それは、梅毒という病気を知る立場からの忠告である。<br><br>　ふたりの関係は、友人や同居人だけではない。画家とモデルのときもあれば、医師と患者のときもある。そのときの状況に応じて、ふたりは観察者と観察対象という役割を交代していた。この奇妙ともいえる関係が、お互いの仕事に活かされていたのである。</p>



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<div class="wp-block-cocoon-blocks-blank-box-1 blank-box block-box has-border-color has-key-color-border-color">
<p class="wp-block-paragraph"><span class="fz-12px"><strong>図版資料</strong><br>アンリ・ド・トゥールーズ゠ロートレック《アンリ・ブールジュ医師の肖像》（1891）<br>板に取り付けられた厚紙・油彩/78.74cm×50.48cm/カーネギー美術館（ピッツバーグ/アメリカ）<br><br><strong>図版出典</strong><br><a rel="noopener noreferrer external" target="_blank" href="https://collection.carnegieart.org/objects/3ed7e910-49a0-4e5f-9355-0bfd9863115b">Collection | Carnegie Museum of Art</a><br><br><strong>参考文献</strong><br>ヴォルフガング・エッカルト『医学の歴史』今井道夫、石渡隆司［監訳］/東信堂/2014<br>エドワード・ショーター『精神医学歴史事典』江口重幸、大前晋［監訳］/みすず書房/2016<br>ジェラール・デュロゾワ『ロートレック』（岩波：世界の巨匠）小勝禮子［訳］/岩波書店/1994<br>スティーヴ・パーカー［監修］『医学の歴史大図鑑』酒井シヅ［日本語版監修］/河出書房新社/2017<br>フランス美術館連盟［編］『トゥールーズ＝ロートレック：ロンドン、パリ作品展の記録』池上忠治［日本語版総監修］/同朋舎出版/1994<br>マティアス・アルノルト『アンリ・ド・トゥールーズ＝ロートレック』真野宏子［訳］/PARCO出版/1996<br>ルネ・スムレーニュ『フィリップ・ピネルの生涯と思想』影山任佐［訳］/中央洋書出版部/1988<br>Kyriakos Koutsomallis, Toulouse-Lautrec : woman as myth, Umberto Allemandi, 2001</span></p>
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